「I HOPE」への一部の反応について思うこと。
- reethihandhuvaru
- 2020年8月18日
- 読了時間: 3分

今夏、流れたカネボウのCM。
美しくてメッセージ性の高いコマーシャルでした。
企業の崇高なVISIONが見えてくる様で、信用ができる会社だな・・・と思わせる力強さがありました。(2013年の白斑事件の対応ミスで苦労された後だけに、このCMの力強さは、イメージを払拭するためにも満を持して・・・の感があります。)
概ね良い反応ではありましたが、一部に批判的なコメントがあって炎上したというお話もありました。
それは、何故か?
「生きるために化粧をする」に、違和感を訴えた方が一定数いらっしゃった・・・ということなのですね。
そこに敏感にならざるを得ない状況が、あるということ。
CM自体は、ジェンダー(社会的意味合いから見た男女の生区別、男女格差)や、LBGTQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・クエスチョニング[性別が定まっていないなど])、伝統や儀礼、ライフスタイルに十分配慮したものだったと思います。
男性が化粧をしたっていいのですし。
そして、化粧品メーカーであるカネボウは、人生を謳歌するための一つのツールとして、化粧が生きるために力を与えてくれると謳ったのです。
戦闘服としての化粧、自信を与えてくれるための化粧、自身を可愛いと思うための化粧。
そういう、自身が「生きるための化粧」は確かにあるのです。
自分以外の物の力を借りて、手にする生きる力。
それは、希望を見出すこと。
それの、何がいけなかったというのでしょうか?
「化粧する」ことに息苦しさを感じている人が、思った以上に大勢いらした・・・ということなのでしょう。
これ、#KuToo(女性にハイヒールやパンプスを強要するな!)運動にも通じているのです。
「女性に化粧を強要するな!」と。
「ヒールが好きな女性だって、沢山いる。それは否定して貰いたくない。」
・・・そう、仰っていた女性有名人の方もいらっしゃいました。
敢えて「女性だからやらなければならない」は、間違っている!という主張をしなければならないくらい、窮屈な状況だということなのです。
どう選択しようが、個人の自由であるはずなのに。
「女を捨てたらおしまいだよね」と、男性どころか女性にさえも言われてしまう。
男の人は化粧やヒールを強要されたりしないのに。
何故、女性は性対象として存在しなければならないのか?
「化粧」はヒールと同様に、その性対象となるべきツールであり、象徴と捉えられている。
そういうことなのだと。
いまだに、女性にだけ就業時間前に出社して社員全員の机を水拭きするとか、お茶当番があるとか。
事務職の女性の制服があるとか、女性従業員の服装規定に化粧の義務やマニキュアの色指定、ストッキングに5cmヒールの強要があるとか。
(百貨店とか量販店従業員の服装規定で実際に掲げられていました。今はどうなんでしょう?)
セクシーなヒールやお化粧を好きな人は良いのです。
そこを否定している訳ではない。
女性だって、色々なタイプがいる訳です。
それなのに、「女性的」なことを全ての女性が強要される。
「お化粧がそもそも好きではないし、楽しめない」し、「義務とかマナーとしてやらざるをえない」と感じていらっしゃる方がいる。
嫌なら、個人として「やらない」選択をすればいいじゃないかと思う方も多いと思うのですが、多分、彼女達の環境は同調圧力がより大きいのでしょう。
・・・だから、敏感にカネボウのCMに反応してしまったのだと。
ちゃんと、声を上げることができる。
おかしいと気づくことができる。
・・・それ自体が、社会の大きな変化なのだと思います。
自分は自分。
好みは万別。
ダイバーシティ(多様性)を、もっとみんなが楽しめます様に。
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大好きな初秋の花、カラスウリ。
夕方以降でないと、このレースに縁取りされた、白い星型の花には出会えません。
涼しげで、ロマンチックな花です。
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