ブランドは老いるか?
- reethihandhuvaru
- 2017年1月16日
- 読了時間: 3分

20代の頃、洋服を買う時によく使ったブランドがいくつかありました。
お給料がうんと安かったのに、何故こんなに高いものが買えたのだろうか?と不思議な気持ちになります。(とはいえ、シャネルのようなハイブランドが買えたわけではありません)無意識だったとは思いますが、精一杯背伸びをしていたんだろうと思います。こんな自分になりたいと憧れるアイコンの存在もありました。そして、自分に似合うものが解ってきた今、遊び心のあるデザインをそれなりに楽しんでいます。
ブランドは次々と生まれていきますが、最初のコンセプトから変容していくブランドが少なくありません。おしなべて言えることですが、ブランド誕生時はどこのメーカーも力が入っていて、デザインやブランドのコンセプトが明確で、高品質な商品を展開できています。
設定年齢が顧客とともに上がってしまったブランドも、設定年齢を維持するどころか不自然に若返っていったブランドもあります。流行に振り回されて右往左往してしまったブランドも。
顧客とともに年齢設定が上がってしまったブランドは、「着る人の生命力を補填する」ように、どんどんデコラティブなデザインになっています。着る人本体のエネルギーが不足してきている所為かもしれませんが、凝ったカッティングやフリルやリボン、色が満載です。
不自然に若返ってしまったブランドは、商品の「品質がチープになって価格ラインも下がった」ようです。ファストファッションブランドに寄ってきてしまいました。
ブレないブランドもたくさんありますが。
デザイナーは交代しますから、デザイン方向がある程度変化するのは当たり前ですが、年齢設定や品質の変更理由は、そのままではラインが維持できない「大人の事情(=売上確保のための会社の方針変更)」ということだと思います。「量より質=少数・高価格・高品質」か「質より量」=多数・低価格・チープ」か、中間か?・・・どう舵を切るかで「ブランドの生き残り」が決まります。
「老いたブランド」とは、発信力がなくなり辛うじて生き残り、不自然な変容をしてしまった・・・ということだと思います。ちょっと見、似ているのですが「老舗ブランド」と「老いたブランド」の決定的な違いは、「ヴィジョン」の有無ではないのかと思うのです。
老舗ブランドとは、まるでこの写真の古い梅の木のようです。毎年同じ場所で、同じように
美しい花を咲かせているけれど、見る人に与える感動はいつも新鮮。
去年と同じ花では決して無い。
社会に対してどんな存在でありたいか?を考える。それが「ヴィジョン=幹と根の部分」で、その「ブランドコンセプト=どんなお花を咲かせるのか?」がはっきりしていれば、その範疇で自由に「遊び心」を持ったアレンジが可能になります。
梅の木にバラの花を咲かせて欲しいとは誰も思いません。流行りだからと、どの木もバラの花を咲かせてしまったら飽きられてしまいます。「木」本体の存続さえも危うい。
老舗ブランドとは根と幹を時間をかけて、育ててきた会社のことを言うのだと思っています。幹と根の中心として育てるのは「人材」です。ファッションに限らず、そんな尊敬できる会社やお店、素敵な人達とたくさん知り合いたいと思っています。
そして私の仕事は、お付き合いさせていただいているそれぞれのサロンさんや化粧品販売店さんが「ヴィジョン」や強みを見失わないように、サポートを続けることなのです。
粗を探すのは簡単なのですが、魅力を見つけるのは結構 難しい。
当事者が気づいていない、もしくは見失ってしまった「魅力」を取り出して綺麗に磨いて目の前に差し出す・・・ちょっとトレジャーハンターみたいですね。
実際には小さな規模の会社やお店の「木の幹と根を丹念に育てましょう」と言い続ける、とても地道で華やかさとは程遠いものですけれど。
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